粟おこし/あみだ池大黒
3500体の大黒さまに見守られ進化し続ける! 「あみだ池大黒」の粟おこし
大阪市西区
粟おこしの歴史を守る老舗
今回は大阪名物「粟おこし」を作る「あみだ池大黒 本店」に伺いました。
ここ「あみだ池大黒」さんの「粟おこし」には長い歴史があることを皆さんご存知でしょうか?
「粟おこし」の歴史、知ってますか?
元々「粟おこし」はその名の通り「粟」が使われていました。しかし、江戸時代中期の大阪は「天下の台所」とよばれ全国から良質な水飴、砂糖、そして「米」が集まりやすい環境でした。
当時高価だったお米が大量に運ばれている際に、米俵から少しずつこぼれ落ちる米を見て「もったいない!」と買い取って「おこし」としてお菓子にしたのが創業者である小林 林之助さんだったそうです。粟の代わりに米で作られた「粟おこし」は美味しいと全国で評判を呼び大阪名物になりました。
とっても堅い!だから縁起がいい!
「粟おこし」はとっても堅いお菓子なのですが、それよりも更に堅いのが「岩おこし」です。
江戸時代中期の大阪では、運河を作るための工事で大量の岩が掘り出されました。その様子から「掘りおこし」「岩おこし」といって米をさらに細かく砕いて堅~~~くしたものがシャレで作られ、大阪の発展を象徴する縁起のいいお菓子として大ヒットしました。粟おこしと比べると粒がより細かいのが分かります。あみだ池大黒さんでは、岩おこしの方には生姜が入っていて甘さが引き立ちます!!
ちなみに、大阪で作られるおこしには全て「梅鉢紋」が入っているのですが、これにはあの菅原道真公が関わっています。
奈良時代末期に道真公が九州の太宰府に左遷されることになり船待ちをしておられたところ、村人が道真公をお慰めしようと粟おこしを差し上げました。すると道真公は大変お喜びになり、お礼に「梅鉢の紋の小袖」を渡して「この紋をつけて粟おこしを広めなさい」と言われたそうです。それから、大阪のおこしには梅鉢の紋が使われるようになりました。
誰よりも長く働くおこし製造機!?
粟おこしが作られる工程としては、蒸したお米を乾燥させパフ状になっていくように炒ります。パフ状になったお米を、約7メートルある長いトンネルのなかで水飴と砂糖を混ぜたものと合わせて行きます。混ざったものはシート状に薄く伸ばされ、店頭に並んでいる「粟おこし」の大きさにカットされていき包装されたら完成!
ちなみに長いトンネルのついた機械は「全自動おこし製造機」と呼ばれ現在いらっしゃるどの社員さんよりも社歴が長いそう!!!おこしを作っていくのには、湿度などの微妙な調整が時期によって必要で、水飴の炊き方を変えたり、温度調節をしたりと大変なんだそうです。
最近では、新しい商品として「pon pon ja pon」という洋菓子の要素も取り入れたお菓子が発売されているのですが、そちらはほとんど手作業。いままでのおこしの堅いイメージを変えて、サクッフワッとした軽い食感を出ためには丁寧な手作業が必要だそうです。
なんで、あみだ池「大黒」なの?
ところで、あみだ池大黒さんのお名前ですが何故「大黒」かと言うと、「大黒天」は五穀豊穣の神様、つまりお米の神様だからだそうです。大阪市北堀江にあるあみだ池大黒さん本店の後ろ側には蔵が建っているのですが、その中には全国から集められた大黒様が約3500体おさめられています。
たくさんの大黒様に見守られ続ける
重厚な扉を開けて見えてくる大小様々な大黒様は圧巻です。
2代目の頃から少しずつ集められた大黒様達。昭和20年3月の大阪大空襲の際に、工場や米蔵などが全焼してしまう中で、この大黒様の蔵だけが焼け残り現在もこうして祀られているんだそうです。
おこしの歴史と未来を大黒様と守っています
蔵に入って後ろを振り向くと「宮内省御用品製造中」とかかれた看板が扉の上に並んでいました。
明治37年日露戦争の時に、明治天皇より満州の兵隊さんに配らるための、菊の御紋章入「恩賜のおこし」が35万箱も注文されました。その後、あみだ池大黒さんは大阪では唯一「宮内庁御用達」の栄誉を授かったそうです。
長い歴史の中で老舗として伝統を守りながらも、おこしの作り方を応用して作られたクランチチョコレート「Melange Chocolat」や、マシュマロを使うことで柔らかい食感を実現した「Matthew & Chrisp」など今までのおこしにはなかった新しい商品もどんどん開発されています。
あみだ池大黒さん、今回は貴重なお話ありがとうございました!!