和泉蜻蛉玉/山月工房
あふれ出る親子愛!次代につなぐ1,000年の歴史
泉州地域
大阪府の南部に位置する泉州地域。
このあたりは古くからガラス工芸で栄えてきました。
本日は、大阪府知事指定の伝統工芸品である「和泉蜻蛉玉」の山月工房さんにお伺いしました!
「とんぼ玉」と「和泉蜻蛉玉」
とんぼ玉(ガラス玉)の歴史は古く、奈良時代の前、難波宮朝廷に近い和泉国(現在の堺市)でガラス玉の製作を始めたとのことなので、ざっと1,300年前!!
江戸時代には、泉州玉・さかとんぼと呼ばれ全国的に有名でした。
明治に入り、池上村(現在の和泉市内)の神山喜代松氏が堺市内(旧・和泉国)にてガラス玉の技術を習得。
地元に帰りその技を公開したことで和泉市内ではガラス業が長く繁栄したそうです。
しかし、昭和50年代頃より安価な中国製品におされ和泉市内のガラス玉職人は激減。
物づくりへのこだわりと、海外では真似ができない技術力を誇った先代・故 小溝時春氏。
平成の頃にはガラス玉の専業職人は、山月工房の先代だけになってしまいました。
伝統を継承するために
そんな先代の背中を見て育ったのが、山月工房の二代目松田有利子さん。
小さい頃には近所の人たちはみんなガラス業に携わっていて、非常に活気があったんだと懐かしそうに話して下さいました。
そして『この地の伝統産業を途絶えさせてははいけない』、と先代と一緒に和泉地方のガラス玉についての歴史保存活動・歴史調査をはじめます。
郷土史を調べたり、地元の人たちに聞き取りを繰り返したり。
この地にガラス玉の技術を持ち帰った神山喜代松氏の子孫の方からは、およそ100年前のトンボ玉(ガラス玉)の検証の協力を得るなど、地域の皆さんからも応援されていきます。
そんな地道な活動の甲斐もあって、平成14年、「和泉蜻蛉玉」として大阪府の「伝統工芸品」に指定、続いて大阪府伝統工芸士の称号も取得されました!
夫婦二人三脚で
ガラス棒を束にして、逆手でもつ。
これが和泉蜻蛉玉の流儀だそうです。
1本の軸を使って、いかにたくさんのガラス玉を生産できるか。
量産するために考えだされた技法、まさに産業としての歴史を物語るスタイルですね!
蜻蛉玉の原料になるガラス棒にも、もちろんこだわりが。
現在、山月工房さんでは、廃業されてしまった業者の方から、ゆずっていただいた年代物のガラス棒を使用されています。
ガラスの成分の組成によって微妙に仕上がりに差がでるので、このガラス棒でないと、和泉蜻蛉玉の品質は出せないのだとか。
そこで松田さんのご主人が原料となるガラス棒の生産にただいまチャレンジされています!
伝統技法を組み合わせる
和泉蜻蛉玉には、この地域に古くから伝わる技法を用いた色々な形や文様があるんです。
今回はそのうちのひとつ、「粉(こ)かけ」と呼ばれる技法を見せていただきました。
文字通り、色とりどりのガラスを粉砕した“粉”を土台になる玉につけて加熱。
溶けた表面の粉が混ざり合い、文様をつけていきます。
ガラスを溶かすには、約800度もの高温でないといけません。夏の工房は大変そうです!
大好きだった先代のお父様のお話しを本当に楽しそうに話してくださった松田さん。
平成22年には、世界遺産である平等院の修復作業に参加し、阿弥陀如来坐像(国宝)の、瓔珞(ようらく)を復元されました。
泉州地域ならではの技術・技法である和泉蜻蛉玉を次代につなぐため、ご夫婦で日々技術を高め、作品作りに励んでおられます。
これからも素敵な作品を楽しみにしています!
山月工房のみなさん、本日はありがとうございました!